ロールスロイス

【ロールスロイスの歴史、ルーツと車種の特徴を知ろう】

ボンネットにのったロールス・ロイス社の公式マスコット「スピリット・オブ・エクスタシー」は世界で最も有名なマスコットです。人生の成功者を数多く乗せ、人々の羨望を集めているロールス・ロイスの歴史を読み込んでいきたいと思います。

【ロールス・ロイスの二人の創始者】
ロールス・ロイス(ロールズ・ロイスという発音)は「フレデリック・ヘンリー・ロイス(写真上)」「チャールズ・スチュアート・ロールズ(写真下)」の二人が1904年5月に立ち上げた自動車会社です。
ロイスは貧しい生まれの中、企業して、会社を経営して成功を収めていましたが、電機部品の分野の事業に飽いて車の開発を望んでいました。
ロールスにおいては、富裕な貴族であり、ケンブリッジ大学在学中に既に車を所有、レースに参戦しながらも輸入車販売を経営していました。

【ロールスロイス発足のきっかけとなった有名な昼食会】

ロールスは資金提供者を探しており、その際にロイスを紹介されて、昼食で意気投合したのが1904年5月になります。
ロイスが最初のエンジンを作ったのが1903年になります。1904年にはニューヨークにて3台のロールス・ロイスを発表し大変好評となりました。
ロイスが設計と開発を担当し、ロールスが販売を行うという形をとっており、実質はロイスが作り上げた会社だと言われています。

【ロイスの処女作「10HP」】
1904年に完成した「10HP」は、Fヘッド(フラットヘッド)の直列2気筒1,800ccエンジンを前方に搭載し、3段変速機とプロペラシャフトを介して後輪を駆動する常識的な設計だった。奇をてらわない堅実な自動車で運転しやすく、極めてスムーズで安定した走行性能を示し、実用面でも充分な信頼性を持っていた。メカニズムについてはあくまで単純で信頼性の高い手法を取ったが、トレンブラー高圧コイルとバッテリーを組み合わせた点火システム、そしてガバナー付の精巧なキャブレターは、当時としては最高に進んだ設計で、エンジン回転の適切なコントロールができた。4月1日に行われたテストドライブでは16.5mph(約26.5km/h)のスピードで145マイル(約233km)を走破した。

【ロールスロイスのエンジン開発とモータースポーツ】

1904年のニューヨーク以降からロイスにより多くのエンジンが生み出されました。
ロイスは、直列2気筒の「10HP」から3気筒「15HP」、4気筒「20HP」、6気筒「30HP」と続々と制作し、各国の展示会で高く評価され、成功を収めました。
そして、1906年に「40/50HP」試作品をフランスのパリにて発表し、ヨーロッパ諸国に自動車分野で大きく遅れをとっていたイギリス発の自動車産業でしたが、「ロールス・ロイス」の貢献によって自動車先進国であるフランスのメーカーを上回る品質のモデルを生み出すこととなりました。
この「40/50HP」は「シルヴァーゴースト」というモデルであり、ロールス・ロイスを世界的に有名にしたものです。
また同年の1906年3月に正式にロールス・ロイス・リミテッドが立ち上げ、その後はイギリスの法改正もあり、ロールス・ロイスはレースに参戦、好成績を収めていました。
※備考:イギリスには赤旗法と呼ばれる、車についての法律が厳しく、車業界は他国に大きな遅れをとっていました。赤旗法がなくなると、モータースポーツ業界は急成長し、1907年には世界初の常設サーキットも作られました。

【ロールス・ロイス「40/50HP」シルバーゴースト】
【ロールスロイスの第一次世界大戦と世界恐慌時代】
1914年8月に第一次世界大戦がはじまると、ロールス・ロイスはイギリス軍より航空用エンジンの開発をまかされました。
ロイスは(ロールズは1910年7月12日に飛行機墜落にて死亡)前述のベントレーのエンジンを元として、飛行船用70HPエンジンのホークを開発しました。
その後1921年にアメリカに工場を設置し、「シルバーゴースト」や「ファントムⅠ」を生産しましたが、イギリス製のロールス・ロイスが欲しいという顧客の要望に応えられず、上手くいきませんでした。
1929年の世界恐慌の煽りをうけ1931年にはアメリカでの生産中止となりました。
以後もファントムが最高クラスとして残り、現在でも世界中の憧れの的となっています。

【ロールス・ロイス・ファントムI(1925年~1931年)】
【ロールスロイスがライバルであるベントレーを傘下に】
1919年に設立されたベントレーは、ロールス・ロイスも参加しているモータースポーツにて連勝していましたが、ベントレーはレースに勝つ為にオーバークオリティーな製品を販売していたために利益がとても薄いものでした。
現在でも行われているル・マン24時間レースで輝かしい戦績を収めながらも1931年ベントレーは経営破綻。ベントレーの経営権をロールス・ロイスへ譲渡し、結果としてロールスロイスはベントレーを傘下に置くことになりました。
その後、姉妹車として「ベントレー」と「ロールスロイス」が存続し続けています。

【ロールス・ロイスの破綻から現在】
第二次世界大戦後、1947年からシルヴァーレイスの生産を開始アメリカのを中心とし販売を伸ばし続けましたが、航空エンジンの失敗により1971年には経済破綻し、公的管理下(国営)におかれました。
その後、1998年にフォルクス・ワーゲンに買収されたのち、2003年1月にフォルクス・ワーゲンとBMW間の契約により、BMWにおいてロールス・ロイスブランドの製造・販売が行われ、ベントレーはフォルクス・ワーゲンが製造・販売するという体制になりました。
この際、BMWは新会社である「ロールス・ロイス・モーター・カーズ」を設立し、現在に至っています。

【ロールスロイスの精神は「ノーはなくイエスのみ」】
ロールス・ロイスの特注プログラム「ビスポーク」はというものを知っていますか?
実はロールス・ロイスは注文時にオーナー主導でフルカスタムすることができるようになっているのです。
ロールス・ロイスの多くのオーナーのなかで、特に「ファントム」をオーダーするオーナーは、絨毯を引くことやピクニックセットの設置、材質やカラーの細かく特別な注文をします。
オーダーはディーラーを通して行われますが、iPadアプリを利用したり、顧客自身が現地に赴むくこともあります。
オーダーは最大6ヶ月で、オーダー出来る顧客はロールス・ロイスよりきめられた人のみになります。
単なる大金持ちでも不可であり、相応となる身分を持っていることや、3000万ドル以上の資産を持っていること等々あります。
オーダーとなると億以上かかる場合もあり、さすがの最高級車といえる価格ですね。

【ロールス・ロイスたる所以を語る逸話】
大富豪や皇族が愛用するロールスロイスには伝説がある。ある大富豪が砂漠で走行させていたところ悪条件もあり故障してしまった。サポートセンターに連絡してしばらくすると、ヘリコプターに新しいロールスロイスをくくりつけた男が登場 。新しい車と鍵を渡すとまたヘリコプターで去っていった。大富豪は無事に目的地に到着することができた。感動した大富豪は請求を待っていたがしばらく経っても請求が来なかった。不審に思い、礼を言うつもりでロールスロイスに連絡を入れた。すると担当者は「お客様、ロールスロイスは故障いたしません。」と告げたと言う。

【ロールス・ロイスの車名はプライドの証】
ロールス・ロイスは「ゴースト」「ファントム」等、とても変わったネーミングセンスをもっています。
これら幽霊系の名前は「既に亡き者である、故に永遠であるほど壊れない」「亡き者は存在感がないため静かである」という意味からつけられつづけています。
また、ヨーロッパでは日本と違い、「幽霊は歴史の生き証人」という認識があるようですので、非常に頑丈で、静かだというロールス・ロイスのプライドの高さと自信が伺えます。

【「スピリット・オブ・エクスタシー」にかけた自負】
冒頭で書きました世界で最も有名な車のマスコット、それが1911年より付けられた正式名称「スピリット・オブ・エクスタシー(歓喜の精霊)」です。
このマスコットは一般的には「フライングレディ」と呼ばれており、ロールス・ロイスの象徴となっています。
こちらは盗難防止などのため、キーをON/OFFする度そのまま沈みこむようにしまわれます。
このマスコット一つで一台の車が買えるといわれています。

【ロールス・ロイスの現行車の紹介】

ロールス・ロイス ゴーストⅡ

ロールス・ロイス レイス

ロールス・ロイス ファントム

ロールス・ロイス ドーン

【ロールス・ロイスは最高級乗用車としての世界中で活躍】

上記ベース価格に追加してオーダーによっては億単位となるロールス・ロイスは世界最高級の乗用車と言っても過言ではありません。
現在はベントレーとは分離されてしまったとは言え、その魅力は以前と変わらずに世界中のお金持ちの憧れの的でもあります。
今後も過去の良さを引き継ぎつつどのように進化していくのでしょうか。



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